昭和48年の開校にあたり、学校および病院関係者から募集し、入選した図案(当時入院療養中であった患者さん(53歳)の作品)をもとに作られたものです。全体の形は、本校が所在する松の緑の濃い丘をあらわしています。三方へ伸びる丘は、児童生徒の合言葉「明るく、強く、がんばる子」をも表現しています。大勢の人々の善意の奉仕によってつくられた友情ライン(遊歩道)をもって、ふちどられています。このような豊かな自然と愛情に包まれながら発展する学校であることを願って、校章はつくられました。なお校旗の紅色は、本校所在地の旧名「鈎取紅堂」からとって地色としました。
作詞 佐々木 百太郎
作曲 海鋒 義美
校歌は、紆余曲折の末、佐々木百太郎校長みずから作詞することとなり、先生は(1)病気の不安、(2)両親と離れての淋しさ悲しさ、(3)治療と学習のできる場を得た喜び、(4)先生友達看護婦さんなど親身の世話をしてくれる人々の存在と感謝、(5)将来への希望、(6)精一杯の生き方・・・などを思いながら作詞に励みました。
歌詞3番の「ああ海光る」のフレーズは、先生が学校に泊り込んで作詞に取り組んでおられた時、ある晴れた朝に病棟見回りの道すがら病院玄関前の八重桜と車庫の間から海が光って見えるのを発見して深い感動を受け、生まれた詞だそうです。
1 朝(あした)水澄む 名取川 |
2 緑かげ濃き 松の丘 |
3 ああ海光る 西多賀の |
本校の校木は「あかまつ」です。昭和51年 3月に制定されました。友情ラインが延びるあかまつの原生林は病院のシンボルであり、「子どもたちがあかまつ林のように手をとりあって強くのびのびと育つように」という願いがこめられています。