学校に保存されている資料から、本校と児童生徒に関する主な出来事を紹介します。
障害児教育の不足や障壁が、多くの人々の善意とたゆまぬ努力によって克服されていったこと、
それにより児童生徒が励まされ、本校が発展していった歴史を感じとっていただければ幸いです。
黒色の文章は略史にある事項、青色の文章がこのページで挿入された記事です。
創立50周年までのエピソード
10年 2月 河北新報「ジャンプ中学生」(朝刊21面)で本校中学部の紹介記事が掲載された。(参考:1998/2/18河北新報)
10年 6月 白石市の小原中学校と初めての交流会が開かれた。(参考:1998/6/24河北新報)
10年 6~12月 障害者の学習と進路のためにコンピューター教育に力を入れている学校として、河北新報などで本校が紹介された(参考:1998/6/30河北新報、1998/12/25こねっと便り)
10年11月 第25回東北地区病弱虚弱教育研究連盟研究協議会宮城大会開催。
11年 3月 新聞に掲載された小学生の詩にボランティアで曲をつける活動をしている鹿児島県在住の畦浦さんが、読売新聞に掲載された本校中学部1年のIさんの詩「疑問」に曲をつけて送ってくれた。(参考:1999/3/2読売新聞)
11年 4月 高等部山元分教室開設(1学年1学級1名、教職員2名)。
11年 7月 県内のトヨタ販売グループ5社から、ピアノと電子ピアノを寄贈された。
11年 9月 高等部3年のSさんが、「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」の協力で東京ドーム球場を訪れ、読売巨人軍の松井秀喜選手と面会し、長年の夢を果たした。(参考:1999/9/19読売新聞)
11年10月 県教委の養護学校乗馬体験支援事業の一環で、馬とのふれあいを楽しむ体験学習会が初めて開かれた。
11年12月 PTA行事で、「さとう宗幸コンサート」を開催した。同じさとう宗幸プロダクション所属の高橋佳生氏も来校し、歌を披露してくれた。
12年 1月 東北電力グループの通研電気工業社から、自社で開発した障害者用のパソコンマウス「スライドポイント」1台を寄贈された。これは、指先にはめるなどして、わずかな動きでパソコンのカーソル移動とクリックができる機器。身体機能が著しく低下した人でもパソコンが使えるようになると期待されている。(参考:2000/1/8河北新報)
12年 9月 河北新報「NIE Newspaper In Education 」で本校中学部の紹介記事が掲載された。(参考:2000/9/3河北新報)
12年 9月 「温泉に行って風景画を描きたい」という夢を抱いていた高等部3年生のTさんが、「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」の協力で岩手県内の温泉を旅行し、念願の風景画を描いた。(参考:2000/9/20スポーツニッポン)
12年10月 第6回全国盲・聾・養護学校文化祭(主催:全国盲・聾・養護学校文化連盟)で、中学部2年生のOさんとNさんの書道作品が入賞した。
13年 8月 西多賀病院と連携して、校内で放送大学の利用ができるようになり、10月から高等部の生徒が受講を始めた(養護学校としては日本初の試み)。(参考:2002/6/15河北新報)
14年 3月 校内LAN整備
14年 4月 高等部山元分教室閉鎖(生徒の在籍がなくなったため)。
15年 1月 第9回全国盲・聾・養護学校文化祭(主催:全国盲・聾・養護学校文化連盟)で、中学部のGさんとOさんの写真作品が入賞した。また第55回県高校美術展のポスターデザインに、高等部2年Oさんの作品「春の光」(B3判の版画)が選ばれた。(参考:2003/1/13 河北新報)
15年 4月 高等部の1学級あたりの定員が3名になる。
15年 5月 ホームページ開設。
15年11月 宮城県立こども病院に分教室開設(小学部3学級、中学部2学級、教職員3名)。【写真:開級式で挨拶する本校の齋藤校長 (当時)】
16年 2月 岩出山町の感覚ミュージアムで開催された第2回「1000の小箱展」に、高等部の生徒4名の作品が「アン・グラハム特別賞」を受賞した。(参考:2004/2/29河北新報)
16年 5月 「シェルコム仙台」で23日に開催された、第12回宮城県・仙台市障害者スポーツ大会で、Oさん(高等部1年)がフライングディスク(ディスタンス)競技で2位入賞。Aさんさん(高等部2年)も、同(ディスタンス)競技で3位入賞した。
16年 8月 高等部3年生のNさんが、夏休みに「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」の協力で北海道を家族旅行。そのレポートが8月4日午後6時17分から東日本放送「Jチャンみやぎ」で約10分間にわたって放送された。
16年 8月 こども病院分教室に重複学級設置(小学部1学級)。
16年10月 第27回全国障害者技能競技大会(アビリンピックみやぎ2004)に、高等部Bコースの生徒が制作した作品が展示された。
16年10月 第31回東北地区病弱虚弱教育研究連盟研究協議会宮城大会開催。
16年11月 こども病院分教室で19日、朝日子ども南極教室が開催され、第45次南極越冬隊の皆さんとのテレビ電話会議が行われた。事前学習でそれぞれが自分のテーマを見つけ調べたことに関して質問に答えてもらったり、氷点下でのおもしろ実験を見せてもらった。屋外で変装した隊員の方と直接電話で話したりもした。
17年 4月 独立行政法人国立病院機構宮城病院(亘理郡山元町)に分教室開設(高等部1学年定員3名(1学級))。
同 こども病院分教室に重複学級設置(中学部1学級)。
17年 6月 河北新報「中学生タイムス」(朝刊27面)で本校中学部の紹介記事が掲載された。(参考:2005/6/22河北新報)
17年11月 同年3月にホームページの沿革に関するページを作成するため、昭和38年の遊覧飛行について調査と資料の提供をANAに依頼したことがきっかけとなって、ANAとの関係が深まり、11月18日に「ANA航空教室」が開催された。ANAグループの副操縦士1名と客室乗務員2名が来校し、飛行機が飛ぶ原理や、空の旅の魅力などについて語った。【写真: ANA航空教室】
18年 3月 宮城病院分教室閉鎖(4月から山元養護学校高等部(新設)に編入)。
18年 4月 創立50周年記念ANA麻田機長メモリアルフライト実施。全日空の故・麻田正機長 と玉浦・西多賀両ベッドスクールの子どもたちとの交流のエピソードが前年3月に掘り起こされたことがきっかけとなって、ANAから「麻田機長を記念して再び 西多賀養護学校に遊覧飛行をプレゼントしたい」との企画が提案され、21日に「創立50周年記念ANA麻田機長メモリアルフライト」が実施された。医師から許可された26名の児童生徒が仙台空港に向かい、午前と午後の2回に分けて約1時間の遊覧飛行 を楽しみ、また空港ビル内で記念セレモニーを実施した。また医師から許可されなかった児童生徒のためには、ANAのボランティアスタッフが学校を訪問し、教室および病室で記念のイベント や「模擬飛行体験」を実施した。
18年 9月 全館冷暖房設置工事。
18年10月 4月に実施されたANA麻田機長メモリアルフライトにちなみ、高等部Bコース生徒が文化祭で演劇「絆は翼とともに」を上演した。
19年 1月 第58回県高校美術展のポスターデザインに、高等部1年のTさんの作品(B3判)が選ばれた。
19年 1月 本校第8代校長の伊藤広毅さん(書道家)が、第56回書道学会展で内閣総理大臣賞(審査員を対象とした最高賞)を受賞した。県内からの受賞は初めて。(参考:2007/1/31河北新報)
19年 3月 高等部2年生のSさんの詩作品2編が、「とっておきの音楽祭」の作詞部門で入選し、曲をつけてもらえることになった。
19年 9月 本校のホームページが、第5回全日本小学校ホームページ大賞(通称J-KIDS大賞2007)の特別支援学校・優秀校に選ばれた。
19年11月 創立50周年記念式典挙行。記念コンサートとして坂本九さんのご令嬢,大島花子さんが来校。亡き父の名曲を中心とした素敵なコンサートとなった。
【ここに掲載したほかに情報をお持ちの方はお知らせください 。】