本校略史
昭和 29年  8月 国立玉浦療養所に私設養護学級(小学生3名、中学生1名)が誕生。
昭和 32年  4月 岩沼町立玉浦小・中学校矢野目分校(児童数16名、生徒数7名、職員数1名)となる。【創立周年の起算点】
昭和 35年  7月 仙台市立西多賀小・中学校療養所分校となる。
昭和 48年  4月 宮城県立西多賀養護学校として開校(小学部16学級98名、中学部13学級72名、教職員43名)。
昭和 48年  7月 開校式挙行(校旗樹立・校歌制定)。
昭和 49年  4月 山元町立山下小・中学校分教室松風学園が廃校となり、宮城県立西多賀養護学校山元分校として開校。
昭和 50年 10月 校舎第一期工事竣工(鉄筋3階建2,188㎡、50.3着工)。
昭和 50年 12月 校外学習用バス「わかくさ号」第1号新車配置。
昭和 51年  8月 校舎第二期工事竣工(鉄筋3階建1,548㎡、50.10着工)。
昭和 51年10月 創立20周年・校舎落成記念式典挙行。
昭和 53年  3月 宮城県立西多賀養護学校山元分校閉校(53.4 宮城県立山元養護学校として独立)。
昭和 53年  4月 重症心身障害児の教育開始(小学部20学級110名、中学部12学級70名、重心部3学級15名、教職員52名)。
昭和 54年  7月 校舎第三期工事竣工(体育館、鉄筋一部2階建594㎡、54.1着工)。
昭和 55年  4月 文部省特殊教育教育課程の研究指定校となる(55・56年度)。
昭和 56年  4月 重複学級指導開始(小学部2学級7名)。
昭和 59年  3月 校外学習用バス「わかくさ号」第2号新車配置。
昭和 61年 10月 第13回東北病弱虚弱教育研究協議会宮城大会開催。
昭和 62年 10月 創立30周年記念式典挙行。
平成  4年 11月 第19回東北地区病弱虚弱教育研究連盟研究協議会宮城大会開催。
平成  6年  4月 高等部開設(1学年定員8名(4名×2学級))。
平成  7年  8月 校舎1階教室とプレールーム増改築工事竣工。
平成  8年  1月 校外学習用バス「わかくさ号」第3号新車配置。
平成  9年  3月 高等部第1回卒業式(卒業生9名)。
平成  9年 10月 通学用新渡り廊下竣工(鉄骨造2階建93.70㎡、9.5着工)。
平成  9年 11月 創立40周年記念式典挙行。
平成 10年 11月 第25回東北地区病弱虚弱教育研究連盟研究協議会宮城大会開催。
平成 11年  4月 高等部山元分教室開設(1学年1学級1名、教職員2名)。
平成 14年  3月 校内LAN整備。
平成 14年  4月 高等部山元分教室閉鎖(生徒の在籍がなくなったため)
平成 15年  4月 高等部の1学級あたりの定員が3名になる。
平成 15年  5月 ホームページ開設。
平成 15年 11月 宮城県立こども病院に分教室開設(小学部3学級、中学部2学級、教職員3名)。
平成 16年  8月 こども病院分教室に重複学級設置(小学部1学級)。
平成 16年 10月 第31回東北地区病弱虚弱教育研究連盟研究協議会宮城大会開催。
平成 17年  4月 独立行政法人国立病院機構宮城病院(亘理郡山元町)に分教室開設(高等部1学年定員3名(1学級))。
平成 17年  4月 こども病院分教室に重複学級設置(中学部1学級)。
平成 18年  3月 宮城病院分教室閉鎖(4月から山元養護学校高等部(新設)に編入)。
平成 18年  4月 創立50周年記念ANA麻田機長メモリアルフライト実施。
平成 18年  9月 全館冷暖房設置工事。
平成 19年 11月 創立50周年記念式典挙行。
平成 21年  4月 校名変更で「宮城県立西多賀支援学校」となる。
平成 22年  4月 高等部に病弱の単一障害学級も設置(1学級定員8名)
平成 23年  4月 東日本大震災により9日遅れの入学式を実施
平成 25年 10月 第40回東北地区病弱虚弱教育研究連盟研究協議会宮城大会開催。
平成 26年  6月 世界的バイオリスト五嶋みどりさん(2014年グラミー賞受賞)来校
平成 27年  4月 子ども病院分教室が拓桃支援学校に移管される
平成 29年  4月 学齢超過者への高等部教育が始まる
平成 29年  9月 創立60周年記念式典挙行。
平成 30年  4月 知的障害者(重度重複)への教育が始まる
平成 31年  2月 校外学習バス「わかくさ号」第4号新車配置。