昭和39年に発表された坂本九さんのヒット曲「ともだち」(永六輔さん作詞、いずみたくさん作曲)は、西多賀養護学校と縁の深い歌です。
昭和39年10月中旬、全国社会福祉協議会(東京)の更井さんが、仙台市立西多賀小・中学校療養所分校(“西多賀ベッドスクール”)を視察した際、 体の不自由にも負けず、皆明るく勉強している姿を見てすっかり感激しました。
そのとき更井さんは、ベッドスクールの子どもたちが坂本九さんの大のファンで、坂本九さんにベッドスクールの歌を歌ってほしいと希望していることを知り、 帰京後、早稲田高校時代の同級生で、「上を向いて歩こう」の作詞者である永六輔さんに相談しました。
【写真:レコードジャケット】
永さんは快諾。また永さんから話を聞いた いずみたく さんも、趣旨に賛同して無償で作曲を引き受けてくれたのです。
その後、永さんの手元には、「歌詞をつくる資料に」と、西多賀の子どもたちの作文・詩をまとめた文集がどっさり届けられました。
こうして「ともだち」の歌は生まれました。昭和39年12月に完成した歌はレコードになって、全国のベッドスクールなど福祉施設の子どもたちの人気を集めました。
昭和40年6月10日午後、仙台市内で坂本九さんとキューティーQ(女性グループ)の共演による歌謡ショーが開催されました。
招待を受けて、西多賀ベッドスクールの体調の良い生徒たちが会場に行って鑑賞しました。その歌謡ショーが終わったあと(夕刻)、坂本九さんとキューティーQの皆さんが西多賀ベッドスクールを慰問し、子どもたちを大喜びさせました。
このときベッドスクールを代表して記念のカーネーションを渡した生徒さんは、今でもそのときの感激をよく覚えているそうです。
【写真:上2枚:西多賀ベッドスクールを訪れた坂本九さん。右上の写真の背広の男性は療養所長の近藤先生です。左下:サインをする坂本九さん、右下:サインと歌謡ショーのプログラム。坂本九さんは大色紙(27×24cm)に「幸福なら手を叩こう、淋しかったら唄いましょう」と記しています。残り4枚はキューティーQのもの。1枚は小色紙(21×18cm)に記されています)】
坂本九さんは、その後昭和47年にも西多賀ベッドスクールを訪れました。
現在、本校には永六輔さんから届いた自筆の歌詞原稿の手紙が保存されています。また「ともだち」は、現在でも校内のテレビ朝会で流され、歌われています。【写真:玄関で紹介しています】
この縁により、平成19(2007)年11月に開催された本校創立50周年記念式典には、坂本九さんの令嬢・大島花子さんを招いてコンサートを開くことができました。
★詳しくは、図書館などで昭和39年12月29日および昭和40年6月11日の河北新報を御覧下さい(河北新報社はWebへの記事転載を許可していないので、ここに掲載できません)
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★坂本九さんの写真の連載については,坂本九音楽事務所の許可を得ています。また,右上のレコードジャケット写真については、東芝EMI社から特別に許諾を得て掲載しました。転載を禁じます。
★当時の詳細については、元“初代患者先生”の菅原進氏から多大のご教示をいただきました。