県立移管の経緯【3】

県立養護学校として再スタート

初代校長に決まった佐々木百太郎先生は、昭和32年4月の玉浦小中学校矢野目分校開校のとき、県の学校教育課学校管理係長として式典に参加していました。
佐々木先生は、当時の県教育委員会の中でも障害者に対する教育に深いかかわりをもった人物で、西多賀養護学校の初代校長に決まったとき、 庁内では「適材」と高く評価されたそうです。西多賀養護学校として開校後、創立20周年校舎落成記念式典を挙行するにあたり、 「学校長として式典を行なうめぐり合わせになった私は、目のあたりにした矢野目分校開校の日を想い、まことに感慨深いものがあった」と述懐しておられます。 なお初代教頭には、ベッドスクール教頭として県立移管に熱心に取り組んできた半澤先生が着任することになりました。


このように、県立移管となった西多賀養護学校の開校は、病院長の近藤先生、次の院長の保坂先生、ベッドスクール教頭の半澤先生を中心に、 病弱児教育の充実を求める保護者たちの長年の運動の成果として実現し、さらに障害児教育に造詣の深い佐々木校長先生を迎えて、 まさに「満を持して」のスタートとなったのでした。


【写真】1973(昭和48)年ごろ 病院内の職員室で半澤教頭先生と (中央)と、諸先生方

 

 

 


★このページの作成に当たっては、本校保管資料『創設20周年・校舎落成記念誌』、『創立30周年記念誌』を参考にしました。また開校当時の教頭・半澤健先生に監修していただき、多くのご教示を頂戴しました。ここに記して感謝申し上げます。