~「開校式で保護者が涙を流して喜んだ」~
こうして療養所で勉強ができるようになったこと、そしてそれが正式の学校として認められたことは、カリエスという病気のために学習・進級の機会 を奪われて、まったく生きる希望を失っていた子どもたちと家族にとって、もはや言葉では言い尽くせないほどの大きな喜びとなったのでした。
「開校式で保護者が涙を流して喜んだ」という話は、決して比喩ではなく、真実だったのです。
ベッドスクールがこのように発展した背景には、いくつかの要因がありました。それは、第一に子どもたちの学習への真剣さ・ハングリー精神と、 第二に菅原進さんの子どもに対する愛情、教育に対する熱意、たゆまぬ努力と几帳面さでした。
この2つが結びつかなければベッドスクールは生まれませんでした。
そして第三に病院職員の理解と協力があり、第四に他の患者さん、マスコミ、岩沼町や県内の人々の援助がありました。
そのすべてがそろって、ベッドスクールは発展したのです。
元療養所長の近藤先生は、『ベッドスクール(創立35周年記念誌)』の中で、「そんなにすべての条件がそろう チャンスはそうざらにあるものではない。まさに奇跡という他はない」(p16)、と述べています。
★参考:『創立10周年記念誌』(1964/10)、『創立20周年記念誌』(1976/10)、『創立30周年記念誌』(1987/10)。 1956/7/19河北新報、1956/11/17河北新報、1966/1/22朝日新聞、1956/11/17朝日新聞、1956/11/20慈恵新聞、1956/11/21朝日新聞、 1956/12/1朝日新聞、1956/12/1河北新報、1956/12/28朝日新聞、1957/2/20朝日新聞、1957/2/20河北新報、1957/2/24河北新報、1957/3/22朝日新聞。 『ベッドスクール(創立35周年記念誌)』(玉浦ベッドスクール同窓会・1991年)、『ベッドスクール―ある病弱教育の記録―』(太陽と緑の会編)。 また元“初代患者先生”の菅原進氏に監修していただきました。