麻田機長と鳩、そして遊覧飛行
迷い込んだ鳩
その直後の4月、ベッドスクールの鳩舎に一羽の鳩が迷い込んでいるのを飼育係の佐々木君が発見しました。足輪をしていたので「青森―東京間の鳩レースで迷ったのではないか」と心配した子どもたちが、県警を通じて警視庁で調べてもらったところ、やはり飼い主が東京在住とわかりました。しかし弱った鳩を早く確実に送り届ける方法がなく、困った末に 、仙台空港が学校のすぐ向かいにあったので「飛行機に頼もう」ということになり、仙台空港に相談しました。その結果、仙台―東京を定期空路で飛んでいた全日空・機長の麻田正さんが快くこの申し出を引き受けてくださったのです。
麻田機長さんは、輸送する鳩を空港にもってきた子どもたちが療養所に帰っていく後姿を見て、「あの子どもたちは何年くらい入院しているの?」と佐々木君に尋ねたそうです。佐々木君が「4~5年の入院になりますよ」と答えると、それまで気さくに話をしていた麻田機長さんは突然だまってしまい、ベッドスクールに帰っていく子どもたちの後姿をじっと静かに見つめていたそうです。
麻田機長さんの好意で無事に鳩は東京の飼い主のもとに帰り、子どもたちは後日ベッドスクールを訪問した東京の飼い主から、優秀な血統の小鳩をお礼にもらいました。そしてこの一件がきっかけで、麻田機長さんとベッドスクールの子どもたちとの交流が始まりました。
ベッドスクールの鳩舎(左)、麻田機長さんの肖像(中)、
鳩の空輸を頼む(右=機長さんに鳩を手渡している松葉杖の人物が迷い鳩を発見した佐々木君です)
佐々木君がつけていた「鳩日誌」 その1冊目にエピソードの記録があります 麻田機長さんのお名前も記されています