麻田機長と鳩、そして遊覧飛行
子どもたちを招待飛行に
交流が深まるにつれて、麻田機長さんは「どうしても子どもたちを飛行機に乗せてやりたい」と考えるようになりました。
麻田機長さんは、子どもたちとも約束をしました。
しかし個人の飛行機ならともかく、全日空という大組織の中で子どもを招待飛行することは 容易ではありません。
採算が合わないだけでなく、万一の事故を考えると、なかなか実現するような企画ではありませんでした。
しかし麻田機長さんは何度も根気強く会社にお願いして、ついに会社から許しをもらうことができ、全日空から正式の招待状が届いたのです。
昭和38年4月29日、ベッドスクールの子供たち50名が、麻田機長さんみずから操縦する旅客機に乗って仙台・松島上空を遊覧飛行しました。
このとき麻田機長さんは、東京―札幌、東京―大阪しか飛ばなくなっていましたが、会社のはからいで特別に30人乗りの旅客機ダグラスDC-3型機を操縦して 仙台に飛来。
午後、子どもたちを2回に分けて飛び、初めて飛行機に乗った子供たちを大喜びさせました。
麻田機長さんは、定期便の飛行よりずっと神経をすり減らして操縦し、子どもたちを全員降ろすまで、気が気でなかったそうです。
しかし、そこまでして子どもたちのために尽くしていただいた麻田機長さんの気持ちは、子どもたちに大きな思い出となって残りました。
【写真:麻田機長さんに花束を渡す(左)。飛行機に乗り込む子どもたち(中・右)】
銀色の機体
機内で
窓から見えた仙台市街