本校創立の経緯 【2】
~菅原さんと子供たちとの最初の出会い~
戦争中に発病して兵役免除となり、各地の病院を転々としたのち玉浦療養所で療養していた菅原さんは、熟れて庭に落ちた赤い木の実を 拾ってもらって茶碗の中ですりつぶし、その赤黒い汁に指を染めながら絵を描いていた子供たちと出会いました。
これが菅原さんと子供たちとの最初の出会いでした。子供たちと仲良くなった菅原さんは、見舞い客も来なくなり淋しそうにしていた 子供たちが、まだ元気だったときに使っていた学用品を枕元の戸棚に大切にしまってあるのを見て「ドキッ」としたそうです。
そして「勉強したい、教えてほしい」という子供たちを前に考え込みました。やがて菅原さんは「この子どもたちが学校から見放されたら どうなるのか。病気が治って社会に出たとき困らないように、読み書きくらいは教えてやらねばならない」と考えるようになり、昭和29年8月の自分の 誕生日から、誰に勧められたわけでもなく自発的に、子供たちに勉強を教え始めたのです。
最初は、自分も生徒も患者なので、安静時間を避けて午前と午後の1時間ずつ漢字や計算を教えました。
ありあわせの紙で問題を作りテストをして採点しました。当時、病院で勉強することは正式には認められていませんでしたが、 子どもたちに勉強が必要なことは誰の目にも明らかでしたので、療養所の職員は菅原さんが授業をしているのを、そっと見守っていたそうです。
菅原進先生の授業風景
昭和29年のクリスマス
昭和30年8月ごろ進先生と女子中学生