本校創立の経緯【3】
~手作りの「賞状」,新しい所長先生~
やがて年が明けて、昭和30年の春を迎えましたが、学校へ行っていない子供たちは進級できません。
そこで、菅原さんは「療養のかたわら熱心に勉強した」ことをたたえる「賞状」を作り、ベッドの上でささやかな“修業式”をおこないました。
賞状は社会的には何の意味もないものでしたが、子どもたちは大喜びで受け取りました。
昭和30年5月ごろから、子供たちが熱心に本を読み勉強する姿を見て心を動かされた他の軽症患者や療養所職員たちが、菅原さんと一緒になって、 積極的に教師役をつとめるようになりました。
薬剤師が理科を、看護婦が保健体育を、栄養士が家庭科を・・・、というように。
そして昭和30年9月に、菅原さんたちは強力な味方を得ることになります。
新しい所長先生として近藤文雄先生が玉浦療養所に赴任したのです。
近藤先生は最初の回診が終わったとき、「子どもたちに教育の機会を与えねばならないね」とおっしゃったそうです。
すかさず「もうやっています」と答えたのは、総婦長の六郷さんでした。そしてこの会話をきっかけに、療養所の雰囲気は大きく変わりました。
それからは、近藤先生の好意で黒板や大ソロバンが用意され、また児童生徒が在籍している小中学校の教員たちが見舞いかたがた教科書を届ける ようになりました。
療養所の子どもたちの様子が新聞で報道されたのをきっかけに、多くの一般の方々から教材などが寄贈されるようにもなって、 少しずつ学習環境が整っていきました。
そして、昭和31年の秋には、毎日2時間ずつ体育以外の必要科目が授業できるようになったのです。
【写真】(右上)患者先生の授業風景、(左下)交歓会のときの調理風景