紅堂

2020年2月の記事一覧

令和2年2月号

 校内書き初め展が,1月22日(水)から2月6日(木)まで行われました。展示場所は,学校と病棟をつなぐ通路の壁面でした。
 小学部では,「とり」・「滝」・「ぼくの手」などのイメージを筆で自由に表現したものが物の本質をよくとらえていました。とても元気よく書いていました。
 中学部では,病棟での制作となり,水書道や指筆を使ったものを拡大して見事に表現していました。新春を表す飾り物も素敵でした。


 高等部Aコースでは,和紙の色味をよく生かしてコースの統一性に優れていました。「眼鏡女子」「巨大車両」の言葉選びも好評でした。Bコースは,好きな四文字熟語を選んで書いていました。「有言実行」「初志貫徹」「前途洋々」など画数の多い文字を配置よく,のびのびと書いていました。Dコースでは,掛け軸や落款を用いて,落ち着いた作品に仕上げていました。水墨画風の作品も面白かったです。Eコースでは,濃墨の良さを生かして,インパクトのある作品を色紙いっぱいにはつらつと書いていました。

 保護者の方も見学にいらして,熱心に撮影をしていました。皆さん,力作ですねとお褒めの言葉をいただきました。

 

 

 

 卒業生(現在,A大学3年生)が,2月5日に「卒業生の話を聞く会」で,講演を行いました。困難を強みに変え,自己の人生を作り上げる姿には非常に感銘を受けました。以下,講演概要を紹介いたします。


 入学当初は,学校が嫌だった。私は,大学進学を目指しており,支援学校から大学進学はできないと考えていたからだ。しかし,西多賀支援学校入学後は,私の大学進学の目的を考慮し,それに合わせて先生方はカリキュラムを変更してくれた。

 学校行事の進路体験学習では大学を訪問した。進路体験学習は非常に重要な学習であるので,大事にした方が良い。
 受験勉強は病棟での学習であった。病棟では日々の生活を管理しており,学習を行うには難しい環境であったが,病院に配慮してもらい,9時まで勉強することができた。入院生活は苦しいことがあったが,同じ病棟の友人が支えになってくれた。西多賀支援の先生方,病棟の方々をはじめ,たくさんの方々の支援によって大学進学ができた。

 私が入学したのはA大学B学部である。この大学は重度の障害を持つ学生を受け入れたことがなかった。知らないものを受け入れる事はとても怖いことだ。受け入れについては,体制を整えないとなかなか難しい。入学に当たっては,A大学の職員,病院の職員,学校の先生方にもお世話になった。もちろん,本校の先生方の動きが出発点である。先生方が新しい道を開いてくれたと感じている。本当に苦労したのは先生方だと思う。A大学の先生も,協力的な人で非常に助かっている。

 今になって気づくことがたくさんある。当時は時間が進んでいくだけであった。しかし,当時の支援者のおかけで,現在の自分があることが分かる。当時はそれが分からなかった。

 自分には支援者であるヒーローがたくさんいて,そのおかげで大学に行けたことを今しみじみ感じる。灯台下暗し。自分は,西多賀で,最初は不安だった。西多賀でいいのかと思っていた。しかし,今考えれば,西多賀だからこそ進学できたとしみじみと感じる。この出会いがなければ今の自分は無い。皆さんも,その出会いを忘れないでいただきたい。就職も新たな道を切り開くということだと思う。
 皆さんもたくさんの人に関わってもらって生活していることを,絶対覚えておいたほうがいい。

 ノートライ、ノーチェンジ。挑戦しなければ変化はない。これは大学の先生がよく言う言葉で僕の好きな言葉である。

 思ったことが言えない自分が嫌いであった。何かやってほしいことがあっても、他人にとってはどうでもいいことであると自分に思い込ませてきた。しかし,病気があるので,自分だけで生活ができない。そのように自分の気持ちを飲み込んだら,誰も自分のことを分かってくれない。だから積極的に発言すべきでないかと,自分に言い聞かせている。大学卒業後は,ウェブデザイン、3Dのグラフィックとかの仕事につきたいと考えている。
 宮城はデザインをする会社が少ない。少ないから諦めるという考えは自分は持ちたくない。この気持ちを捨てないで行動したら,何か変わるんじゃないかと,今までの経験から,考えている。